2001年エリトリア訪問



河野康弘エリトリアの旅2001年4月23日~5月2日

4月23日(月)

いよいよエリトリアへ出発の日。

12時成田空港ルフトハンザ空港のチェックインカウンターに山中さんが待っていてくださる。山中さんは高知県吾北村に住んでいらしゃる写真家。二年前にパレスチナへ同行してくださった。久しぶりの再会。

出国手続きをして空港内に入る。

14:40ルフトハンザ715便フランクフルト行き出発。

12時間かかって日本時間24日夜中の2時40分無事フランクフルト到着。日本とは時差が7時間マイナス。よって、フランクフルトでは23日7時40分。

出国手続きはすごく簡単。

タクシーで今日のホテルへ。早めに寝る。

4月24日(火)

11時ホテルのリムジンバスで空港へ出発。

13:15ルフトハンザ596便でアスマラへ向けて出発。

19:00アウジアラビア・ジェダ空港到着。

時差フランクフルトより1時間プラス。

20:10ジェダ空港出発。定刻より1時間早く到着。

 

小さな空港で歩いてターミナルへ行く。真っ暗。 ターミナルの入り口に、かつ子さんが迎えに来てくださっている。ホッ。国連軍の兵士達が、ぞくぞくと入国して少し緊張感。かつ子さんと一緒に迎えに来てくださった大使館の方がビザの手続きその他を親切にしてくださる。とても優しそうな黒人のおじさん。かつ子さんが手配してくださったワゴン車でホテルへ

4月25日(水)

8時半ホテルを出発。

最初に外務省へ。取材許可証を頂く。外務相のアリアムさんが対応してくださる。知的な女性。20年間戦争に参加しておられたそうだ。

外務相を出てERRECへ。ERRECはエリトリアの難民救済のための組織。 ピアノをERRECがマッサワ港から運んでくれて倉庫に保管してくださっている。

ここからトラックでピアノを寄贈先に届ける。

皆さんでトラックにピアノを積み込み、最初の寄贈先メカネ・ハイワット・病院へ。 2台目は孤児院オーファナイジ・センターへ。 3台をエリトリア・ミュージック・スクールへ。

午後3時から最初にピアノを運んだ病院でコンサート。近くの小学校からも沢山の子ども達がやってくる。

最後は「ワッハッハ」で子ども達がむらがってくる。

収集がつかない。わっはっは。大人の方も参加。楽しいコンサートでした。汗びっしょり!

 

エリトリア一日目は充実していた。 

4月26日(木)

7時ホテルを出発。アルバ難民キャンプへ。

アスマラ市外を通過してしばらくすると山々が見えてくる。パレスチナを思い出す。

舗装のされていない道路を2時間ほど走るとアルバ難民キャンプに到着。ここには約2万人の人たちが生活している。パレスチナは50年前の難民。ここは最近の難民。本当にテントで生活をしている。 でも子ども達は明るい。エネルギーいっぱい。医療施設を見学。物資が不足している。お医者さん、産婆さん、看護婦さん、救急車、足らないものがいっぱい。でも赤ちゃんが元気に生まれる。神様に感謝!

学校訪問。テントで勉強。

舗装をしてない道路を走りコハイトへ。コハイトはシバの女王の遺跡のあるところ。コハイトへ行く許可証を頂くのに途中の役所へ行く。昼休み。2時まで約1時間待つ。のんびりアフリカ。小鳥達も素敵な歌声を聞かせてくれる。

コハイトの遺跡の地域はとても素晴らしい景色。自然は偉大。 絶壁から彼方の風景を眺める。

自然が一杯の地域。そこに突然建設中のモスレムが。神は偉大?

 

もう4時。まだまだ見るところがあるが暗くなるのでアスマラへ向かう。

4月27日(金)

朝7時15分ホテルを出発。山中さん、かつ子さん、アリアンさん、ツガイさん、僕の5人のメンバー。毎日一緒。なんとなく家族。

アスマラ~マッサワ道路を紅海方面に向かう。

アスマラは高度2100メートル。かなり高い

日光の「いろは坂」のように曲がりくねった道を行く。

朝日が輝き、それは、それは素晴らしい景色。

1000メートルくらい降りたところの町に汽車のステーションがある。のんびりとした良い町キンダで休憩。

1938年イタリア製の汽車。現役で走っている。丁寧に整備をされた汽車は最高に素敵だ。父が汽車会社にいた時の写真を思い出す。

駅のそばには水汲み場があり、子ども達が水汲みにきている。ロバやラクダが荷物を運ぶ。ゆっくり、ゆっくり。

 

 

ギンダを出発して11時ころマッサワ到着。海岸に面したマッサワは、とても暑い!海岸沿いで海老の養殖をしているところを見学。名前はシーウォーターファーム。環境の事も考えたすばらしいプロジェクト。

先進国の日本は環境は後回し?

その後日系のアメリカ人ゴードン佐藤さん宅へ。海に面した、別荘のような家。昼食をご馳走になる。ゴードンさんはマングローブを利用して環境保全、経済発展をめざすプロジェクトをなさっている。研究所も見学。そしてマッサワ港見学。港の近くでコーヒーをご馳走になる。見ず知らずの女性が声をかけてくださったので、お言葉に甘える。本格的なアラビック・コーヒーセレモニー。時を忘れてしまったようだ。わっはっは。気温が高いので昼寝をしている人が多い。僕も簡易ベットをかりて横になってみる。気持ちがいい。昔母の田舎へ行った事を思いだす。高知県の西の端、土佐清水市。夏休みに帰ると、本当に暑かった。でも、のんびり。海や川で遊んだ。

コーヒーをご馳走になってからマッサワを出発する前に、もういちど佐藤さん宅に挨拶に行く。すぐに出発する予定がざるそば、冷奴をご馳走になる。僕も生姜の皮むき、すりおろし、皿洗いのお手伝い。

わっはっは。

7時すぎ遅くなったのでマッサワを出発。

かつ子さんは用事があって途中でお別れ。

帰りは4人のメンバー。帰りの車では英語のレッスン。大変盛り上がる。僕が6年も学校で英語をならったのに話しが出来ない事を伝えると大笑い。わっはっは。

日本の首相も英語が話せない、と言うと笑いは倍増。笑っていられない、なさけない話し。僕も英語くらいは話したいと思う。わはっは。

10時過ぎアスマラのホテルに到着。長い一日も無事終了。感謝。

4月28日(土)

久しぶりに朝はゆっくりホテルで朝食。
10時半にホテルを出発。
マイ・テメナイ病院へ行く。
ここは目の専門病院。
ロビーにピアノを運んでミニ・コンサート。

患者さん、お医者さん、看護婦さん。
みんでワッハッハ!
シャイなエリトリア人。
全員がピアノにさわってくださって嬉しかった。

終了後ピアノをトラックに積んで夜の会場シネマオデオンへ。

シネマオデオンには大きな看板。
感激。

シネマオデオンのステージは大きくて高い。

おまけに階段が狭い。
うわ~。
どうなふうにピアノを上げるか心配。
でも係りの人が上げてくれると約束。
感謝。

昼食は、かつ子さん宅でご馳走になる。
春巻き、お稲荷さん、お漬物、海老のチリソースに豆腐。
美味しかった。


5
時。いったんホテルに帰って夜の準備。
時間が無くなって来たので慌てる。
やはり日本人。
わっはっは。
ホテルに入りエレベーターに乗ると。
ドアがしまったが動かない。
閉じ込められてしまった。
わっはっは。
何度も非常ベルを押すとホテルの人が開けてくれた。
ふ~。

階段を駆け上り、洋服を着替える。
久しぶりにスーツを着る。

そしてシネマオリオンへ。
6
時過ぎシネマオリオン到着。

6
時から二階のホールでレセプション。
でも誰もいない。
わっはっは。

 

招待状が6時半になっていたそうだ。

6
時半過ぎに少しづつ人があつまる。
アスマラ市長、イタリア大使、EU大使、イスラエル大使、などなど
普段はお目にかかれないような方々が一杯。
かつ子さんもアメリカ大使婦人。
もちろんご主人のアメリカ大使ビルさんも出席。
かつ子さんが皆さんを紹介してくださる。
う~ん。英語が聞き取れない、話せない。
残念。

7
時からのコンサートは大幅に遅れる。
アフリカン・タイム。
わっはっは。

7
40分ころにコンサートが始まる。
コンサートでは自分の言葉でしゃべった方が良い、とかつ子さんに励まされて、ステージにあがる。
「大きな声でゆっくり話しなさい。」かつ子さんのアドバイス。

何処の国に行っても通訳をしていただいてステージに上がったが今回は初めて自分でしゃべった。
ドキドキ。
わっはっは。

テレビ局も来て取材をしてくださる。

9
時過ぎに無事コンサートが終了。

「スピーチもよかったよ」とかつ子さん他の皆さんが誉めてくださる。
社交辞令でも、なんか嬉しくなった。
やはり自分で話しをしよう。

会場を出てかつ子さん宅で打ち上げ。
マリアンさんの子どもさんユリちゃんも一緒。
とても可愛い女の子。
遅かったのでテーブルにもたれてお眠り。

みんなで記念撮影。
ビルさん、かつ子さん、山中さん、さち子さん、マリアンさん、のり子さん、ツガイさん。

皆さんありがとうございました。

4月29日(日)

8時ころ自然に目が覚める。
今日も良い天気。
ホテルの向が教会。
ミサがあるので見学に行く。

静かで厳かなミサ。
牧師さんの説教。
そして歌。
なんとなく日本のお寺の雰囲気。
歌は詩吟にそっくり。
アジアだ。
同じアフリカでも南アフリカはゴスペルソング。
ずいぶん違うのにビックリ。

9
45分ホテル出発。
今日の最初のコンサートは先日ピアノを寄贈した盲人の子ども達をケアーしてあげるグループホーム。
ホーム・フォー・ユース・ブラインド。

小さな一室でコンサート。
チューリップ、ふるさと、を歌う。
音痴でもいいか、なんて思いながら僕も歌う。
わっはっは。

僕の演奏の後、青年がピアノを弾いてくれる。
国歌。
全員が立って誇りをもって歌っている。
すてきだ。
日本の国歌も自信をもってうたいたい。
2
人の青年が連弾。
エリトリアのトラディショナル・ソング。

12時から盲人の為のラジオ放送が今日から始まる。
記念すべき日。
みんなでラジオを囲んで放送に聞き入る。

放送終了後お別れ。
また来る事を約束。

昼食はエリトリアのトラディショナル料理。
インジャラ。
薄いクレープの皮を大きくしたような物に具をいれて手で食べる。

美味しかった。
お腹が一杯になってから少し郊外を取材。
ジャカランダの花が綺麗だった。

夕方4時。やはり先日ピアノを寄贈した孤児院へ。
子ども達とピアノを弾いて遊ぶ。
短い時間でしたが楽しかった。

孤児院の別の場所で結婚式があったので参加。
延々と続く歌、踊り。

結婚式が終わると8時。
4
時に来たときには始まっていた。
少なくとも4時間は歌って踊っていた。
バンドも生演奏。一度も休憩がなかった。
すごいパワー。
わっはっは。

ホテルの帰り食事。
さち子さん、のり子さん、山中さんと4人で食事。
エリトリアにいるすべての日本人が集まった。
わっはっは。

4月30日(月)

3時に目が覚める。
寝付けない。
5
時過ぎうとうと。
6
時目覚ましで起きる。
また、うとうと。
二度寝をしてしまいった。
電話が鳴る。
かつ子さんの声。
「みんな待っていますよ。」
やばい、寝過ごしてしまった。
慌てて着替えて下に降りる。

車で皆さんが待っていたくださる。
申し訳ない。

今日はピアノと一緒にケレン市へ行く。
良い天気。
途中に戦車の残骸。

昨年までの戦争の残した物だ。

10
時過ぎケレン市に到着。
市長さんにお会いする。
元気な女性。頼もしい。

 

少し遅れてピアノ到着。
沢山の人の手伝いで無事ホールにピアノが入る。
感謝。

セント・マリー・オフ・ダーリット。
大きな木。

 

 

木の中のマリア様。

お昼は市長さんの接待でレストランへ。
トヨタのトラックを豪快に運転して市長さんが案内してくださる。
どんどん山の中へ。
本当にレストランがあるのか心配。
わっはっは。
着いたところはマンゴウの林。
林の中での食事。
                   最高のレストランだ。

食事をした後、こんどはお茶を飲みに行く。
もう2時だ。
コンサートが始まる時間。
わっはっは。

3
時にようやくコンサート会場へ。
40人くらいの人たちが、待っていてくださる。
けっこう年配の方も多い。
アリアンさんが「チューリップ」の歌詞をティグリニア語で書いてくださる。
コピーをとって皆さんにくばり、大合唱。
なんか感動。

体を動かし、手拍子をして、とても盛り上がった。
やはり嬉しい。
最後は青年がピアノを弾いてくださって、国家の大合唱。
印象深いコンサートでした。

4
時過ぎケレン市を出発。
夕暮れの素敵な景色を眺めながら、アスマラへ帰る。
エリトリアも明日一日を残すだけ、名残おしい。

5月1日(火)

エリトリアの最後の朝。
6
時に目覚ましで目が覚める。
荷物をまとめて山中さんの部屋に置いていただく。
6
時半朝食をとりにレストランへ。
注文するが出てこない。
わっはっは。
6
45分出発の時間。
パンが二枚出てくる。
頼んだオレンジジュースが、切れているそうだ。
時間が無いのでパンだけ食べて出発。
今日は戦場になったセナフェの町へ行く。

う~。眠い。
車の一番後ろで横になる。
休まなければ午後からの演奏ができない。
ガタガタと車にゆられながらウトウト。

車が止まる。
アディケイの町。
ここでセナフェへの許可証をいただく。

アディケイからセナフェに入る検問所でしばらく待つ。
とても暑い。
一時間ほど待って許可が下りる。
いよいよセナフェ。

セナフェに入ると地雷撤去作業をしている場所を通過。
ドクロのマークがある。

 

 

まもなくセナフェの町に入る。
爆撃の後が、なまなましい。
のんびりとロバが歩く。

2時半からアスマラミュージックスクールでコンサート。
急いでアスマラに向かう。

3
時半アスマラミュージックスクール到着。
子ども達が待っていてくれて早速演奏。
寄贈したピアノは素敵な音色を奏でてくれる。
感動!

「チューリップ」を、みんなで合唱。
アリアンさんがすっかり覚えて子ども達をリードしてくれる。
嬉しい。
おまけに山中さんが「ふるさと」を歌ってくださる。
素敵でした。

僕の演奏のあと子ども達が合奏を聞かせてくだる。

お茶とお菓子をご馳走になりアスマラミュージックスクールを出発。
また来る事を約束。

エリトリア最後のプログラムはTVのインタビュー。
かつ子さん宅の居間でピアノ演奏。
インタビュー。
かつ子さんに通訳していただきながら冷や汗をかいて応える。
わっはっは。
そしてエリトリアのシンガー・バルナバスさんとジョイント。
「マイ・ファニー・バレンタイン」で終了。

エリトリアでのすべてのプログラムを元気に終え、とても嬉しい。

ホテルに帰り、夕食。
かつ子さん、山中さん、さち子さん、のり子さん、
マリアンさん、ツガイさん、笑顔がいっぱい。

10
時ホテルを出発。
帰国の時間だ。

空港は出迎え出発の人たちで一杯

 

空港に入り出国手続き。
かつ子さん、マリアンさんが付き添ってくださる。
ビルさんも見送りに着てくださる。

日付が変わり52日の夜中12:55飛行機出発。
充実したエリトリアの旅が終わる。

かつ子さん、すべての手配他大変お世話になりありがとうございました。
ぜひ再度エリトリアへ来たいと思います。

5月2日(水)

飛行機はサウジアラビアを経由して一晩中飛ぶ。
サウジアラビアから国連兵士らしい人が一杯乗ってきて
満席。

7時半 ドイツ・フランクフルト空港到着。
良い天気。
飛行機で良く寝たので気持が良い

山中さんと2人でエリトリアの思い出話に花が咲く。
山中さんの写真も楽しみ。
コーヒーを飲みサンドウィッチを食べるが、まだまだ時間がある。
わっはっは。

13:55 日本に向けて出発。(日本時間2055分)
日本まで12時間の旅。