1999年4月 パレスチナ訪問

日本で不要になったピアノを寄贈

寄贈したピアノでコンサート!

素晴らしい1週間でした!!



パレスチナの子どもの神さまへの手紙

A Palestinian Child's Letter to God Yasuhiro Kono Solo

音楽は言葉、人種、すべてを超えて仲良くなれる神様からの贈り物 心の栄養 楽しくすごせる事を祈って映像をつくりました。 神様 よろしくお願いします。 河野康弘


パレスチナの旅1999年4月17日~26日

パレスチナ訪問日記

1999年4月17日(土)

 

いよいよパレスチナへ出発の日がきた。

前日は京都でライブ。

 

6:30に目覚ましで起きた。

う~ん眠い。

水を飲んでシャワーを浴び。目をさまして

 

 

7:00 タクシーに乗り出発。

土曜日の朝の京都の町は、すいていた。

タクシーが飛ばす。怖い。本当に怖い。

車間距離をやたらと詰める。

いや~怖かった。

 

7:20 京都駅到着。ほっ。

 

7:45発 関西空港行き「はるか」に乗る。

電車の中で最後のメールチェック。

 

9:05 関西空港到着。

おなかがすいたので、2階でうどんを食べる。

しばらく日本食ともお別れ。

 

9:40 待ち合わせ場所の4階の国際線団体ターミナルへ。

上がっていくとちょうど山中さんに出会う。

 

今回は山中さんと二人旅。

山中さんは高知県吾北村に住んでいらっしゃる写真家。

僕が今年の年賀状にパレスチナに行くことをお知らせしたら「一緒に行きたい」と電話が入った。

一人で行くつもりだったので、ありがたい。

海外は何回いってもなれない。

しかも皆が心配するパレスチナ。

気が小さい。

 

チェックインを済ませて、お金をドルに両替。

空港に入る。

空港利用料2650円。

 

出国手続きをして51番ゲイトへ行く。

 

11:40 定刻通り出発。エアーフランス293便でパリへ。

 

12時間飛行機に乗る。

映画「ユー・ガット・メール」「ジョー・ブラックによろしく」を見る。

なかなか面白かった。映画は飛行機の中の楽しみだ。

日本から出る便は日本語があるのでありがたい。

普段は忙しくて映画を見ることができない。

少しねたり、話したり、食事も二回あった。

飛行機に長く乗るのだけはずいぶん慣れた。

 

パリの現地時間

17:06パリ・ドゴール空港到着。

 

18年前初めてパリに旅行した。

その時も4月17日に日本を出発。

その当時はアラスカ・アンカレッジ、ロンドン経由でもっと時間がかかった。

確か18日の昼頃についたはずだ。そのことを思うと早くなった。

 

乗り換えで掲示板を見るがテルアビブ行きの出発ゲイトが決まっていない。

他の飛行機は全部決まっている。

何となく心配。

こんな時、二人だとありがたい。

 

 

18:30 搭乗時間になったがゲイトナンバーが出てこない。

しかたなく受け付けに聞きに行く。

チケット見せるとA45と教えてくれる。

分かっているのだったら掲示板に載せてほしいものだ。

あわててA45ゲートに行くと人が一杯並んでいる。

みんなどうして分かったのかなぁ?不思議だ。

とりあえず一安心。

 

 

19:10 エアーフランス1192便テルアビブ行きに出発。

パリは曇って小雨が降っている。

 

飛行機に乗ると睡魔がおそってきて寝てしまった。

日本はもう夜中だ。

 

 

00:45 山中さんに起こされる。

ついにイスラエル・テルアビブ空港。

 

バスで到着ロビーへ。

心配の入国審査。

パスポートと入国証を見せる。

何か聞かれるが分からない。

そうしてるうちに別の人が来て、また、たづねられる。

良く分からないが、イスラエルでの宿泊先、友人のことらしい。

友人の佐藤真紀君の住所を見せ、職業を教える。

 

やっと出国。ほっとする。

 

出口を出ると真紀君の顔が見える。もう大丈夫。

 

 

10人乗りの乗り合いタクシーにのる。

エルサレムの町に30分ぐらいで到着。

お城のような建物が見える。

旧エルサレム市街地への入り口の一つダマスカスゲイト。

 

19日には中に行けるそうだ。楽しみ。

 

ここでタクシーを乗り換え、いよいよパレスチナだ。

 

途中、イスラエル軍の検問。

なんとなく怖い。

でも、問題無しに通過。

 

 

20分ほどでラマッラーの真紀君のアパート到着。

広い

僕のマンションより、ずっと広い。

 

ビールで乾杯。

ツアーの予定を聞いたり、今後の展望など、三人で朝まで話す。

 

午前6時 明日のため?に寝よう。おやすみ。


パレスチナ訪問日記

1999年4月18日(日)

 

12:00 自然に目が覚める。

真紀君はすでに起きていた。

 

外は良い天気。

真紀君のアパートから町が一望できる。

とても綺麗な町並み。

空き地に羊の群れ。

小鳥の鳴き声。

静かでのんびりした町。

 

コンピューターで家にメールを送り、無事到着したことを知らせる。

メールは本当に便利でありがたい。

 

パレスチナのパンと野菜炒めで朝食。真紀君の手料理。

パンは直径25センチぐらいの丸くて平べったいもの。

インドのナンのようだ。

切れ目があって間に挟めるようになっている。

このパンが一番の主食のようだ。

 

16:00 散歩に出かける。

旧市街の方に行くと教会で結婚式がやっていた。

関係がないがビデオ、写真の撮影をする。

なかなか見ることが出来ない光景。

 

17:15 町中の画廊喫茶でビールを飲む。

オーナー自身が画家だそうだ。

雰囲気最高。

日差しが強く、この時間でもずいぶん暑い。 

 

日本からボランティアで子どもたちに絵や折り紙を教えている、小林さん、堀江さん、二人の熟年女性にお会いする

1997年からパレスチナに毎年来られているそうだ。素晴らしい。

レンタカー、携帯電話を借りて走り回るお二人のパワーに感激。

 

真紀君はエルサレムで明日の打合せに出かける。

 

僕と山中さんは小林さん達と車で市内見学。

スーパーで買い物。

さっき食べたパンがたくさん売っていた。

 

その後、小林さんの友人バルームさん宅に遊びに行く。

坂の途中の見晴らしの良いところに建っている、2階建ての素敵な家。

入り口は階段を上がったところ。

ご主人のバルームさん、奥様のレイラさん、娘のダリアさん(14歳)、息子のヤミード君(10歳)が暖かく迎えてくださる。

室内はレイラさんが作られた素敵な刺繍が飾られ、まるで雰囲気の良いラウンジに来たようだ。

アラビアコーヒーと手作りケーキをご馳走になった。
話題は、パレスチナ、広島の原爆など平和の事が主になった。
広島の原爆の写真展をアラブ諸国で開催出来るように山中さんが日本側でバルーンさんがアラブ側で話しをしていこうと具体的な話しまで出て、本当に良い出会いができた。
ダリアさんが英語で作った平和の詩を朗読してくださり、ヤミード君が科学の研究をした話しなどをしてくれた。

9:30 真紀君から電話が入りラマッラーに戻ったそうなので僕たちもバルーンさん宅を失礼する。
23日のラマッラーでのコンサートには家族で来てくださるとの事、再会を約束してお別れする。

小林さんの車で真紀君を迎えに行き、真紀君のアパートに送っていただく。

食事をしていなかったので買ってきたソーセージ等軽い夕食。
今日一日の話しで盛り上がる。
午前2時 明日もあるので寝ることにする

パレスチナ訪問日記

1999年4月19日(月)

 

7:00 自然に目が覚める。

シャワーを浴び、メールチェック。

今日はエルサレムの旧市街地、そしてスッパフォード子どもセンターにある平和図書館で 寄贈ピアノでのコンサート。

 

8:00 出発。

タクシーに乗りラマッラーの町の中心へ。

町はとてもにぎわっていた。

時計台の近く。

何処に時計台があるのか探したが無い。

不思議に思っていると壊れていて電気が消えている。

 

軽食スタンドで、れいのパンと生ジュース。ベリーグッド。

食事の値段。8シキル。

1シキルが約30円。だから240円安かった。

ここではコーラよりも生ジュースが安い。

健康な食べ物が安いのはうらやましい。

 

今度はセルビス(乗り合いタクシー)に乗りエルサレムへ。

一人3シキル(約90円)

朝の渋滞。世界中どこも同じ。

 

9:30 エルサレム到着。

旧市街地に入る。

映画の中にでも来たような錯覚。

石造りの町は素敵だ。

 

まず真紀君の仕事場、今日の演奏場所の図書館へ行く。

石の階段を昇った所のスッタフォード子どもセンターの中にある。

 

入って行くと、ピアノがあった。

木目の綺麗なピアノ。感激。

 

用事をすませ、エルサレム見学。

町の中は土産物屋がいっぱい。

人もかなり多い。

キリストが十字架を担いで歩いた道。

キリストが監禁されていた教会。

など、いろいろと見学。

本当にこんな場所に来たのだ。

夢のよう。

 

その後アルメニヤ人の小学校を訪ねる。

ちょうど小学校低学年の音楽の時間に遭遇。

授業を見学。

子供たちの歌声は素敵だ。

ついでに僕も演奏することになる。

「星に願いを」「キラキラ星」

そして「ワッハッハ」を演奏。

先生がとてもノリが良い。うれしくなった。

子どもたちも少しずつピアノを弾いてくれた。

 

小学校を出てアルメニア博物館へ。

アルメニヤ人の大虐殺の写真を見る。胸がつまる。

1915年4月24日に150万人が殺された。

世界中でこんなことがあったのだ。悲しい。

 

キリストの墓のある聖墳墓教会を見学。

 

教会の中は、いろんな宗派に分かれている。

クチスチャン、プロテスタント、ギリシャ、エチオピアなどのそれぞれが礼拝する所をもっていて、中は迷路のようだ。

 

13:30 そろそろ図書館に帰らなければならない。

途中でサンドイッチを買って、迷路のような道を図書館へ向かう。

暑いのと人込みでえらく疲れてしまった。

 

もうすぐ図書館。

石段を昇っていると、子どもが真紀君に何か話しかけている。

急に真紀君が怒り出す。かなり激しく、長く。

子どもは石を持って投げつけようとしている。

びっくりした。

 

後で聞いてみると「お金をくれ」としつこくせまってくるそうだ。

う~ん。こまってしまう。

14:15 図書館に着いてサンドイッチを食べる。

15:00 そろそろ人が集まり、子どもたちは庭で絵を書き始める。

自閉症の子ども達だそうだ。

この子達にアートを通じて心を開いてもらおうとワークショップを兼ねたオープン記念パーティーだ。

絵の後は小林さん達の折り紙のワークショップ。

そしてお祝いのケーキが届いたので、ジュースとケーキでひと休み。

15:00 ミニコンサートの始まり。

ピアノお目覚め「私のお気に入り」

自然をテーマに「四万十川」他

最後にみんなで「ワッハッハ」
子供も大人もみんなでピアノを弾いた。



16:00 終了。

小林さん、堀江さん、本間さん(子供キャンペーン・日本のボランティア団体)、真紀君、山中さんとダマスカスゲイトを出て5分くらいの所にあるエルサレムホテルで食事。
話しは尽きない。

22:00 明日もあるので帰ることにする。
小林さんが車で送ってくださる。

夢のような一日が終わった。
帰ってからも話しが尽きない。
困った。(^^)

また夜中2時。明日のために寝る。


パレスチナ訪問日記
1999年4月20日(火)

6:30 起床。

今日も良い天気。イスラエルは4月~10月位はほとんど雨が降らないそうだ。
今日はパレスチナのガザ地区に泊まるので準備をする。

イスラエルの国の中に地中海に面したガザ地区と死海、ヨルダン川に面したヨルダン川西岸地区と二つのパレスチナ自治区がある。
真紀君の住んでいるラマッラー、エルサレム、は西岸地区にある。

朝ごはんは、持ってきた梅干し、インスタント味噌汁、お粥、それに山中さんが作って下さったスクランブルエッグ。
それにスーパーで買ったソーセージ、漬物。
なかなか美味しかった。
山中さんご馳走さま。感謝。

7:45 出発。
タクシーでラマッラーの中心街へ行き、セルビス(乗り合いタクシー)に乗り換えエルサレムに向かう。

今日はイスラエルの独立記念日でイスラエルは休日。少し車がすいていた。

9:15 エルサレム到着。まず平和図書館へ行く。
10:00 日本ルーテル教会の団体が見学に来る。渡辺神父さんと聖地巡礼の旅。
年配の方が多かった。
せっかくなのでピアノを弾く。

10:30 図書館を出てタクシーに乗る。

10:50 東エルサレム小学校に到着。
ここにも一台ピアノを寄贈した。

小学校に着くとさっそく音楽室に入り演奏。
低学年約50人の子ども達。
「ワッハッハ」で沢山の子どもたちがピアノを弾いてくれた。

終了後。校長先生とお話し。
山中さんは表で子供たちの写真撮影。

12:30 小学校を出てタクシーに乗る。
今日は建国記念日で軍隊のPRがある。
写真を撮れるので見に行く。

戦車やミサイル。
それに可愛い女の子が子どもに銃の使い方を教えている。
ブルブル。
子どものときには、かっこいいなぁ、と思っていたものが、今は恐ろしいものに見える。
早く無くなって欲しいと願う。

それから国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWAに行く。

そこで働くルブナさんという女性がUNRWAの車で、次の演奏会場ヘブロンヘ送ってくれる。
ヘブロンはエルサレムからベツレヘムを通り車で約1時間南に下った田舎町。
ここの女性センターにピアノを寄贈した。
女性センターは表通りに面した小さなビルの3階。

ここで自立の為の教育を受けている。

ピアノが壊れているから演奏できないかもしれないと言われていたので心配だった。
見てみるとピアノの状態はとても良い。黒のスピネットタイプ。普通の縦型のピアノより少し背が低いものだ。
見るとペダルが上に曲がっている。運ぶときにぶつけたに違いない。運送屋がぶつけたのを言わなかったのだろう。
幸い一番使う右の音を伸ばすペダルは少ししか曲がっていない。
蓋を開けると消音の為のフェルトが弦とハンマーの間に挟まり音が出なくなっている。消音は必要が無いのではずす。ピアノも修理ができるのか?と聞かれて苦笑い。
女性センターを見学した昼食をご馳走になる。
フォブスというパンにピザのようにチーズやミンチ肉をのせて焼いたもの。ヨーグルト。トマト。キュウリのお漬物。
美味しい!食べ物が本当に美味しい。
山中さんは子ども達の写真を撮ったり、子どもたちに撮らせたり。すっかり仲良くなっている。素敵な方だ。写真家もいろいろいらっしゃるが、僕が付き合っている写真家はみんな優しい。

宮崎県の川崎さん、山形県の東海林さん、兵庫県の前田さん。それに南アフリカで会ったビクターさん。

昼食の後
15:00からコンサート。

みんなでワッハッハ!



コンサートが終わると子どもたちはピアノに群がって、思い思いに音をならしていた。
感激。

16:30 女性センターを出て、難民キャンプ・ファワールに行く。
難民キャンプといっても一応はブロックの家が立ち並ぶ。
回りはとても綺麗なところで少し高台に上がり全景を眺める。
美し~い。本当に美しい所だ。

難民キャンプに入ると子どもたちが集まってくる。
車を降りて、山中さんは写真、僕はビデオを撮る。
子どもたちは金をくれ、金をくれ、とせまってくる。辛いものがある。

難民キャンプを出てルブナさん達と分かれタクシーでガザに向かう。

パレスチナ自治区はエルサレムのあるヨルダン川西岸地区と地中海に面したガザ地区の二つある。パレスチナ問題はややこしくて僕にも良く分からない。

向かう途中の景色はモンゴルの草原のようだったり、北海道の帯広あたりの牧草地のようだったり、それは素晴らしいものです。
見たことの無い鳥の大群、駱駝の放牧。映画の中に来たようです。

約1時間走るとガザ地区への入り口・エリツに到着。
だだっ広い駐車場があり、回りは何もない。西岸地区へ入るのとはずいぶん違って国境のようなところだ。とても緊張。
ここからは約1キロ歩いてガザ地区に入る。車は特別な場合しか入れない。
タクシーを降りて荷物を持って歩き出す。また映画のシーンを思い出す。

広い道を少し行くと最初の検問。銃を持った軍隊の人が2人いる。パスポートを見せる。通行許可証のような物をもらう。無事通過。ほっ。

100メートルほど行くと大きな検問所。
検問所の建物の中に入る。
許可証を渡してパスポートを見せる。
すると検問官が「日本から来たのですか?」と流暢な日本語で話す。ビックリ。
その時ガザで僕たちを待っていてくれる藤永さんから真紀君の携帯に電話が入る。
検問官を知っている、と言うので彼に携帯を渡す。なんとなく気が楽になる。
藤永さんが日本語を教えてるそうだ。
ここも無事通過。

ここからが遠い。
何もない道路を3人で歩く。人気も無い。
横は軍隊の入り口。
真紀君に心配しなくて良い、と言われていても、やはり心配。気が小さい。

しばらく行くと今度はパレスチナ側の検問所。
検問所の小屋に入りパスポートを渡す。
パスポート番号をひかえている。
無事終了。
いよいよガザだ。

検問所の出口に藤永さん、滝脇さんの二人の若い女性が待っていてくれた。
そとではパレスチナの兵隊さんが5~6人でサッカーをして遊んでいる。
暇そうだ。

藤永さん、滝脇さんは日本パレスチナ医療協会の方だ。
藤永さんは通称ジャスミンさん。
ジャスミンさんがパレスチナの駐在。滝脇さんは日本。
滝脇さんは18日にここに来て2週間滞在される。
日本パレスチナ医療協会は日本からパレスチナに看護婦さんのボランティアを派遣している団体だ。

ワゴン車に乗りガザの街に向かう。
運転手は藤永さんの友人ナーデルさん(27歳、5人の子持ち)。

農作物を馬車で運ぶ光景が目立つ。
町の様子も西岸と違って寂しい感じ。
でも素朴で僕は好きだ。
少し行くと繁華街。アラブに来た。
そんな眺めだ。

30分ほどでガザの海に着く。地中海に沈む夕日が海に沈む。

とても綺麗。その陰に戦車が見える。う~ん。
写真を撮って、展覧会を見に行く。

真新しいクラフト工房。アラブ風の建物。
今日はオープニングパーティー。
絵や織物など素晴らしいものが展示されている。

工房を出て海岸沿いを南に下る。
今日泊まるのはハーンユニスの町。
パレスチナ・レッド・クレッセント・ソサイティーPRCSのホテルだ。
PRCSは赤十字のような機関。

ごみごみした町中に立派な病院とホテルが急に表れる。不思議な光景。
玄関を入ると薄暗く寂しい感じ。

5階の部屋に案内される。
ビックリ!
広くて立派。一番良い部屋だそうだ。
ツインルームが二部屋、間に居間があり、立派なソファー。

眺めも最高。
同じフロアーにアラファト議長のお姉さんが入院しているので騒がないように、と警告される。

荷物を置いて3階のレストランへ。

喉が乾いた。

ビールが飲める。
と思っていたら大間違い。
この町はアルコールは一切無し。
良かった(^^)

今日は休肝臓日。

お水を飲んで食事。
羊の肉を煮込んで上に焼き茄子がのっかているもの。
サラダ。そしてアラブ式パン。
美味しい。最高。

食事の後、ここの養護学校の主任の先生、ジーンさんが来てくださる。
彼女はオーストラリアからレバノンに来て、それから16年前にパレスチナに来られた。難民達の看護のボランティアに来ている。

マザー・テレサさんを思い出した。そんな雰囲気がある。

しばらくしてジーンさんが個人的にお世話をしている、目が見えない女の子、デラールさん、男の子(名前が出てこない)の二人も来てくださった。

二人はレバノンで難民になりジーンさんが連れてこられたそうだ。

デラールさんは音楽が大好きな英文学を勉強している大学生。伴奏無しでアラブの歌を披露してくれた。
明日のコンサートには用事があって来れないので今日僕に会いに来てくれた。感激。
お礼にCD「さやか姫」をさしあげる。

22:15 皆さんと別れて、山中さん、真紀君と部屋に戻る。
三日月が綺麗なのでしばらくベランダで夜景を楽しむ。

22:30 突然、大きな花火が上がる。ビックリ!。
今日はイスラエルの独立記念日。きっとガザ地区に住んでいるイスラエル人がお祝いしているのだろう。

一度花火は終わり、23:30 また上がる。
夜中まで花火をやるのにビックリだった。

24:00 疲れたので早く?寝る。


パレスチナ訪問日記

1999年4月21日(水) 

7:00 起床。

 

8:00 レストランで食事。

 

8:45 ジーンさんが来てホテルの下にある養護学校、機能訓練所等を案内してくれる。

 

少ない子どもに沢山の大人が付き添い機能訓練や勉強をしている。

音楽室には古いピアノがあった。

ジーンさんが弾けないとおっしゃっていたが大丈夫だった。

 

少し演奏。そして「ワッハッハ」

3人の子どもに3人の先生。楽しそうにわっはっは。

 

その後、絵や民族衣装、工芸品の展示室、立派なホールを見学。

こんなに立派なホールは何に使うのかなぁ。

図書館を見学。

ジーンさんがそこの主任さんの男性に紹介してくださる。

55歳位の小綺麗な白人。

僕がジャズしか演奏しない事を知ると首を横に振って嫌な顔。

小沢さん他、日本人の有名な指揮者を知っているそうだ。

クラシックが弾けなくごめんなさい。

 

そして1階の幼稚園、保育所、他を見学。総合施設としては、かなり良くできている。

 

10:00 ジャスミンさん達が迎えに来て下さり、ハーンユニスの町を後にしてガザに向かう。今日はガザの文化施設で養護学校の高学年の子どもたちが来てコンサートをする。

さっきのピアノが駄目だ、と言われたので会場を移したそうだ。

 

10:30 会場に着いてピアノを見ると立派な日本製のグランドピアノ。でも鍵盤の蓋が壊れて開かないと言われた。

見てみると壊れたのでは無く、入れ方が悪い。

グランドピアノの蓋は外れるとなかなか入らない。

それを無理矢理はめ込んでいた。アラブ式?

手伝ってもらって何とか蓋をはずす。

ひと仕事。

演奏が終わってからはめることにして外しておく。

 

11:00 養護学校の子どもたちがバスで到着。

その中に昨日は「来れない」と言っていたナーデルさんがフルートを持って来てくれた。うれし~い。
11:15 コンサート開始。
僕が日本語で挨拶。
ジャスミンさんが英語に訳す。そしてナーデルさんがアラブ語に訳す。
大変。やはり英語ぐらいは話したい。反省。

4曲目に「エリーゼのために」を演奏。
途中からリズムをアップテンポに変える。
と、突然会場は異常に盛り上がり全員立ち上がり大騒ぎ。
こんなに盛り上がるとは思わなかった。感激。

つづいて「ワッハッハ」
もう会場はお祭り。


来て良かった。

最後は「四万十川」

僕の演奏の後。
ナーデルさんがフルートを演奏。

最後は、みんなでパレスチナ国家やアラブの歌を歌ってくれて楽しいコンサートが終わりました。
ばんざ~い

終了後、一休みして帰りに会場を覗くと、ピアノの蓋をむりやり押し込んでいた。

ストップ、ストップ。と止めてもらう。ほっ。
気が付いて良かった。また初めと一緒になるところ。
ピアノの蓋が入ると会場の人も喜んで下さった。

12:45 会場を後にして海岸沿いのシーフードレストランへ行く。
海岸沿いの道には馬に乗った兵隊さんが100メートル位の間隔で立っている。この道を後で偉い人が通るそうだ。

面白いので兵隊さんに一緒に写真を撮ろうと誘ってみる。
嬉しそうに拳銃を構えて記念撮影。

砂浜に面したレストランはパレスチナとは思えない。僕のパレスチナのイメージが悪すぎた。申し訳ない。

ここでは魚料理は高級品。
なぜなら海に面してはいるが8キロ以上沖合に出るとイスラエルから砲撃をうけるそうだ。だからあまり魚がとれない。これがパレスチナ。

魚、いか、海老などをフライにしたものを食べる。
パレスチナ人のナーデルさんは魚は食べない。

食べたことが無い。

食事をして、海岸沿いにあるシャティー難民キャンプに行く。
狭い路地を僕たちが入っていくと、子供が沸いてくる。
写真を一緒に撮る。ここの子どもたちは目が輝いている。
生きるエネルギーが一杯。

難民キャンプを後にして国境のに向かう。

17:00 ジャスミンさん達とお別れ。

また国境を越える。
今度は気持ちがずいぶん楽になっている。

不思議だ。
でも帰りの方がチェックが厳しい。

空港のように荷物をエックス線に通す。
山中さんのフィルムは通さないですんだ。

よかった。

無事国境を越えるとジャスミンさんが頼んでおいてくれたタクシーが待っていてくれた。
そこに一人日本人のような人がいる。

近づくとやはり日本人。

イスラエルに今月赴任してきた新聞記者の海保さんと言う方だった。

帰りのタクシーが無いので一緒に乗ることにする。

タクシーで約1時間30分でラマッラーの真紀君のアパートに到着。エルサレムまで帰る海保さんとお別れ。
今日は早いのでお米を炊いて梅干し、ソーセージなどで食事。
 
話しは尽きず夜中2時。

もう寝よう。


パレスチナ訪問日記

1999年4月22日(木)

 

朝8時。自然に目が覚める。

 

出発まで時間があるので、洗濯、メール書き。

ワープロ打ち。

 

10:00出発。

ラマッラーの町の先日いったスタンドカフェーでミックスジュースとパンを食べる。

 

10:30 ラマッラーからセルビス(乗り合いタクシー)で

エルサレムへ。

何回も乗っているので、見慣れた風景がつづく。

 

11:00 エルサレム到着。

歩いて西エルサレムへ。

東がパレスチナ、西がイスラエルだ。

でも検問は無い。

 

歩いていくとユダヤ教の地域に入る。

黒いツバのある帽子をかぶって、もみあげを三つ編みにして黒い服を着た男性をよく見かける。

この人たちが一番のアビといわれるユダヤ教人だ。

教典に忠実に生活をなさっている。

子どもの頃から聖書が教科書。

写真やビデオを撮ってはいけない。

戒律がとても厳しいそうだ。

 

その後西エルサレムの繁華街に入る。

マクドナルド、ダンキンドーナッツ、ケンタッキーフライドチキンもある。

 

 

道端のカフェテラスでコーヒーを飲む。

バイオリンが突然鳴り出す。

70歳くらいの男性。

素敵な音だ。

道行く人が何となく聴く。

立ち止まってしばらく聴き入っている人も。

投げ銭が時々ケースの中に入れられる。

 

僕も投げ銭を入れに行く。

経験が無いので、恥ずかしい(^^)

 

 

音楽は身近なものと実感する。

今日はホールでコンサート。

う~ん。考えてしまう。

ホールが無くても素敵なコンサートが出来る。

僕もいつかこんな所で演奏したい。

 

真紀君は仕事があるので、ここで別れる。

山中さんと二人でエルサレム旧市街地の「嘆きの壁」を見る。

 

熱心なキリスト教信者やがお祈りをしている。

軍隊の人も沢山。

 

旧市街地を出て待ち合わせ場所のエルサレムホテルに向かう。

途中、掲示板に僕の顔が大きく載ったポスターが沢山貼ってある。

嬉しくてポスターと記念写真。

 

15:00 エルサレムホテルのガーデンレストランで食事。

あ~!!お腹がすいた。

ずいぶん歩いたので足も疲れた。

真紀君、大河内さんも合流。

大河内さんはお寺のお坊さん。

いろんなボランティア団体に支援をしている。

 

16:30 今日の演奏会場YMCAに行く。

今日はパレスチナの歌手、リム・バンナさん、エルサレムのジャズ演奏家とセッション。

楽しくなりそう。ワクワク。

到着したら、演奏家は誰も来てない。

アラブ時間。何処へ行っても日本のように時間が正確に行く所は無い。

覚悟していたので心配しない。

 

17:00 リムさんご夫婦到着。

ご主人はロシア人(ウクライナ)のギター奏者。

7歳くらいの可愛い娘さん。

 

挨拶をしてさっそくリハーサル。

パレスチナのポピュラーソング「ハララララーヤ」をやる。

楽譜がないのでコード(和音)を聞いて紙に書く。

コードは日本では英語でCメジャー、Aマイナーとかで書く。

しかし彼はDo,Ra minorとラテン語で言ってくる。

常識が違った。あたりまえ。

コード譜を書いてリハーサル開始。

リムさんの歌声は素晴らしい。テープで聞いていたものとは、ずいぶん違う。

 

18:00ようやくジャズの演奏家達が来たので「ワッハッハ 」を練習。

リムさんが最初戸惑っていたが、何度かやるうちに上手く言く。

アルトサックスのグラントさん、ドラムのボブさん、そしてベース、う~ん。名前を忘れた、ごめんなさい。

良いサウンドになりそう。

 

19:30 リハーサル終了。

控え室で休憩。

昨日ガザで会ったジャスミンさん、滝脇さんが来てくれる。

 

20:00 お客さんもずいぶん来ているようだ。嬉しい。

始めてパレスチナでのコンサート。こんなに来てくださる

なんて、本当にありがたい。

リムさんの人気かなぁ?

 

20:10 コンサート開始。

僕のイントロから「枯れ葉」を演奏。ご機嫌だ。

演奏終了と同時に大喝采。手ごたえ十分。

どんどん盛り上がり最後の「ブルーモンク」では最高潮に。

来て良かった。

 

21:10 一部終了。休憩。

ドラムのボブさんが近寄ってきて、とても喜んでくれた。

僕と二人でフリージャズをやりたい、と言ったが今日は時間が取れないので、残念だが断る。

ボブさんは6月にニューヨークに帰るらしいので、今度はニューヨークで演奏しようと約束。

実現出来ることを願う。

 

21:20 二部開始。今度はリムさん達のステージ。

素晴らしい。実に素晴らしい歌とギター。息もぴったり。
最後は僕たちも加わって「ハララララーヤ」を演奏。
鳴りやまない拍手。感激

アンコールに「ワッハッハ」

会場も一緒になって感動。
10:15 終了。大成功。バンザーイ。

良かった。良かった。
真紀君パレスチナに僕を招待してくれて本当にありがとう。

リムさん達、ジャズのミュージヤン達と再会を約束してお別れ。

山中さん、真紀君、地に平和(日本のボランティア団体)のケンさんとラマッラーのレッド・クレッセント本部で開かれているパーティーに合流。
レッド・クレッセントの親分ファヒト・アラファトさんがパーティーを主催している。
ファヒト・アラファトさんは何とアラファト議長の実の弟さん。顔が良く似ている。

アット・ホームなパーティーで、ご馳走も沢山。

ピアノがあったので演奏する

アラファトさんが終わった後で、12月にレッド・クレッセントのイベントに山中さんと僕を招待してくださる事を約束。

本当かなぁ。期待しないで招待状を待っています。

午前1時疲れたので帰ることにする。
真紀君のアパートに帰るともうだめ。お先にお休みなさい。


パレスチナ訪問日記
1999年4月23日(金)

朝8時に起きる。

ラマッラーから今日はベツレヘムに行く。
ベツレヘムはキリストが生まれたと言われている場所だ。
セルビス(乗り合いタクシー)に乗ると、すぐに寝てしまった。
今日は砂漠を通るので見ようと思っていたが、演奏の方が大事なので車の中で休養。

10:00 ベツレヘムの郊外にあるハイスクール到着。
めずらしく沢山の木がある素敵な学校。
ここは環境教育をしているので環境コンサートをしてほしいと依頼があったそうだ。
日本大使館の吉田さん、折り紙の小林さん、日本パレスチナ医療協会の滝脇さんが来てくれていた。ジャスミンさんは風邪で寝込んでいるそうだ。かわいそ~。

スタッフルームで休んだ後校内見学。
多方面から環境を考える展示物がならんでいた。
貴重生物の剥製?。怖かった。

11:00からコンサート。
環境の話しをしながら演奏。
僕が日本語。真紀君が英語。学校の先生がアラブ語。
だらだらと話しが伸びてしまった。
聴いてる人にも失礼。

これは失敗だった。

でも終わると女の子数人が僕にサインを求めてきた。うれしかった。男の子も握手を求めてきて、それなりに楽しんでくれたようだ。よかった。ほっ。

ここで吉田さん、小林さんとお別れ。

残り4人でタクシーに乗りピアノを寄付をしたホーリー・ファミリー・ケアー・センターに向かう。

ホーリー・ファミリー・ケアー・センターはキリストの生誕教会の裏手にある自閉症などの障害をもった子供たちのケアーをする学校のような所。

大人たちの、いざこざの陰で子どもたちの心が蝕まれている。

心は目には見えない。

入って行くとシスター・ローズが暖かく迎えてくれた。彼女の顔はまったくの日本人。ビックリ。

でも彼女は日本人ではなくてグアム生まれのアメリカ人。

日本語はまったく話せない。16年前からパレスチナに来ているそうだ。
地に平和(日本のボランティア団体)のリカさんが来てくれていた。

彼女もエルサレムに住んでいてシスター・ローズさん達と子供のケアーをしている。
沢山の若いボランティアの人たちがパレスチナで頑張っているのに感心する。残念なのはそんな彼らに十分な生活費が払われていまい。金あまり日本。無駄金はずいぶん使うが大事な所にはお金を払わない。なさけない。

シスター・ローズは優しい声でピアノが来たことが子どもたちにとっては大変ありがたいことだ、とお礼を言ってくださった。
パレスチナの多くの子どもは大人達の絶えない戦いのおかげで心に傷を持ってしまったようだ。

心のケアーに音楽はとても必要だと重ねてお礼を言ってくださる。
ピアノをプレゼントできて本当によかった。僕が元気をもらう。来年も持ってこよう、と決心。
その後スタッフの皆さん15人ぐらいでミニコンサート。
ちょっと静かなムードで演奏。
最後はやはり「ワッハッハ」

終わるともうすぐ15時。遅くなってしまったので、食べるはずの昼食のサンドウォイッチと水を袋に入れていただきお別れする。

せっかく来たのでキリストの生誕教会を駆け足で見学。
観光客も一杯。
リカさんが説明をしてくださる。

ここでリカさんとお別れ。どうもありがとうございました。

15:30 セルビスに乗ってラマッラーに戻る。車の中でさっきお土産にもらったサンドウィッチを食べる。

16:30 今日の演奏場所ラマッラーの公民館到着。へとへと。ずいぶん疲れている。
昨日のグラントさん、ほかベース、アラブ楽器の二人でリハーサルをする予定だったが誰も来ていない。アラブ時間。

真紀君のアパートが近いので山中さんは帰って休憩。僕は来るのを待つことにする。疲れたので椅子を並べて横になる。
真紀君はグラントさんに連絡をとる。
なんとグラントさんは仕事でベツレヘムにいて、19時からリハーサルをする事になる。ずっと前から決まっていたリハーサル。
急に変更。分からない。わっはっは。
南アフリカでもベルギーでも中国でも分からない事が多かった。わっはっは。

まだ2時間ぐらいあるので真紀君のアパートへ帰って寝ることにする。

19:00 今度は来ていた。よかった。
しかしコンサートは20時から。急がないと始まってしまう。
最初はグラントさんとベース(名前を聞くのをすっかり忘れた、昨日の方とは違う人)と3人でジャズのリハーサル。
そしてアラブ楽器とのリハーサル。即興で演奏。得意の分野だ。基本になる音だけ決める。Cエオリアン・スケール。大丈夫。演奏がはじまった。なんか普通じゃない。

拍子が違う。ビックリ。いわゆる西洋音楽は4拍子、3拍子、2拍子などが多い。
でも今日やるのは10拍子。こまった!。
1、2、3・1、2・1、2、3、4、5

これで10拍子。あまり起用ではない僕は困ってしまった。

でもやるしかない。時間も無い。

20:00 お客さんが待っているのでリハーサルを終了。気合いで頑張ろう。でも不安。

70人位の客席が一杯。感激。今日は僕の演奏を聞きに来てくださった。感激。

20:15 演奏開始。
アルト・サックス、ベースとピアノのドラム無しのトリオ演奏。イントロで気合いが入る、いけそうだ。
「枯れは」から始まり「ブルー・モンク」まで5曲を演奏。

鳴りやまない拍手と歓声。昨日よりも良いくらいだ。

そしてソロ。

最後はアラブ楽器と即興。少し緊張したが、結構できた。

満足なコンサートができた。
拍手、歓声。
アンコールに「ワッハッハ」
今日の「ワッハッハ」はいつもと一味違う。
会場の中が一体になれた。
終わってみると22:15。
休憩無しで2時間の演奏。
パレスチナ最後の演奏が最高の演奏。
握手を求めてくるお客様。


皆さんが喜んでくださって嬉しい!

終了後。記念撮影。

グラントさん達と握手でお別れ


会場を出発。

山中さん、真紀君、ジャスミンさん、滝脇さんと5人で近くのイタリア料理の店で打ち上げ。
みんな上機嫌。
夕食をしていなかったのでお腹もぺこぺこ。

ピザ、スパゲティー、サラダを注文。

話しをしていると店のオーナーが僕のコンサートのポスターを持ってきて握手を求めてきた。

すごく嬉しかった。

始めてのパレスチナでこんなに素敵なコンサートができるなんて夢にも思わなかった。

真紀君、そして皆様にに感謝、感謝、感謝。

閉店までいて帰る。
ジャスミンさん、滝脇さんと再会を約束してお別れ。

帰りの坂はきつかった。うぅ~ん。つかれた。

帰ると僕が一番先にダウン。

始めてきたパレスチナは本当に良かった。
ここまで楽しくなるとは思わなかった。
パレスチナの人達も喜んでくれた。
日本人のボランティアの皆さんが普段の活動でとても疲れている。
そんな彼らが僕が来たことで元気が出た。
と喜んで下さった。

生きている事の喜びを皆さんから頂いた。
これからの生きるエネルギーにしていきたい。


パレスチナ訪問日記
1999年4月24日(土)

7:30自然に目が覚める。
山中さんはもう起きていらっしゃった。
一番元気。

今日は最後の日。演奏は昨日で終わったので今日は見学。
アルメニアの1915年の大虐殺記念日でミサを見る。
もう一つはベトウィン(遊牧民族)の所へ行く。

8:15 出発。
いつものようにセルビス(乗り合いタクシー)でエルサレムへ。

エルサレムで降りて旧市街地にあるアルメニア教会に行く。
すでにミサが始まっていた。
説教とコーラスが交互に協会の雰囲気も厳かで別世界に来たようだ。

しばらくミサを見てから教会を出て町に行く。
朝から何も食べていないのでお腹がすいた。
チキンの丸焼きが美味しそうなので食べる。
鳥の大虐殺を毎日している?
やはり人間が一番残酷。

ミサの後行進が墓まであるというので、もう一度アルメニア教会に戻る。
協会の人、子どもたち、一般人、沢山の人が参列していた。
日差しが強く、僕は少し疲れた。情けない。わっはっは。

その後、ダマスカスゲイトの近くのカフェで休憩。
リカさんも来ていた。
一緒にベトウィンに行くそうだ。元気だ。

もう砂漠に行くのは断ろうか、と思っていたが休憩していると元気がでたので、せっかくだから行くことにする。

セルビス(乗り合いタクシー)で約20分ほどで砂漠の入り口に到着。
砂ぼこりの中をベトウィンの人たちが住んでいるところに歩いていく。

町にとても近い。
廃材を利用して家を作っている。
放牧をしているはずだが、羊は見当たらない。
最近は放牧する場所が無くなったり、現金がいるので日雇にいったり、と生活が変わっているようだ。

文明とはなんだろう、と考えてしまう。

ベトウィンの集落に行くと少し子どもが出てきた。
ここで持ってきた、ピアニカ、リコーダー、タンバリンでリカさん、真紀君と演奏。
あまり反応がない。

もう少し行った所で、ベトウィンの中年の男性が、彼の住居に招いてくれる。
15才位の娘さんが僕たちの為にお茶をいれてくれる。
目の前で薪を拾い、タンクに入れた水を真っ黒なポットで沸かしてくれる。ありがたい。

その間、真紀君、リカさんは他の子供たちに演奏。
山中さんは子供たちの写真を撮ったり、撮らせたり。
みんな元気だ。
僕はダメ。
ベドウィンのおじさんと、黙ってすわっていた。

お茶が入ったのでみんなを呼び戻す。
暖かいお茶を飲む、これが甘い。ものすごく甘い。

その後ベドウィンのおじさん、彼の子どもたちと記念撮影。
子どもたちの目は暗い。
文明社会に追いやられた惨めな生活。子どもたちにはきつい。

おじさんの一番したの息子は知能に生涯がある。
犬のように縄でつながれ、パンツも履いていない。

う~ん。辛かった。

真紀君、リカさん達はこんな子ども達を助けてあげたいと話ていた。世界には文明の犠牲になった、たくさんの人がいる。


ベドウィンのおじさん一家と別れて、バスに乗りエルサレムへ向かう。気持ちが暗い。
ずーと昔。小学校の頃にこんな風景があった。日本もそんな国だった。

エルサレムの平和図書館で休憩。

19:00 エルサレムホテルで朝日新聞の村上さんと待ち合わせ。
村上さんの車でホテルのレストランへ。
村上さんの奥さんも合流して最後の晩餐。

ワインにステーキ。豪華な食事をご馳走になる。
美味しかった。
でも、ついつい考えてしまう。
お金の使い道を考えなければ。

22:00 明日は帰国。真紀君のアパートを午前3時に出発しなければならないので、村上さん達と再会を約束してお別れ。

セルビスでラマッラーへ。

22:30 真紀君のアパート到着。
さあ、帰る準備。

24:00少しでも寝ておこう。

終わってみると早かった一週間。
沢山の思い出、出会い、経験。
考える事もずいぶんあった。
また来よう。

 

パレスチナ訪問日記
1999年4月25日(日)

3:00 起床。
いよいよ出発。
外は真っ暗。

3:30 タクシーが迎えに来る。
一週間お世話になった真紀君のアパートを後にテル・アビブ空港へ向かう。
タクシーはビュン、ビュン飛ばす。

4:00 検問でストップ。
パレスチナの車なので止められたそうだ。
パスポートを提出して、しばらく待つ。
この一週間で、まぁ大丈夫だろう、と思えるようになった。

10分ほど調べられて問題なく通過。よかった。

4:20 テルアビブ空港到着。
これからが大変そう。
チェックインに3時間は覚悟したほうがいいよ、会う人みんなに言われている。

荷物をもってチェックインカウンターの所に行くと係員が一人ずつ質問をする。
真紀君が国連の証明書を見せたり、僕たちの泊まった所の説明をしてくれた。
でも、係員は僕たちに直接話しが聞きたいようだ。
英語が分からないと言うと困った顔をして、ここで待っていろ。と言って彼は何処かへ消えた。
帰って来ると日本語で書いた質問表をもってきて指でさしながらの質問。
僕たちは質問にたいして「はい」「いいえ」のどちらかに指をさす。
結構簡単に終わった。ほっ。
英語が話せなくて良かった。

次は荷物検査。

僕は荷物を全部X線に通したのですぐに終わる。
山中さんのフィルムがやはり問題。
奥の荷物の検査室に真紀君と二人で行ってしまう。

ワープロを打ちながら待つ。
時間がかかると思ったが、15分位で二人が帰ってきた。
よかった。よかった。これで帰れる。

チェック・インして朝ご飯を食べる。

そろそろ夜明けだ。
真紀君お世話になりました。

真紀君と別れて空構内に。
出国検査。通過。
荷物のチェックもすんなり。

7:20発 エアーフランスでパリに向かう。
飛行機の中は寝てばっかり。

12:30 パリ、ド・ゴール空港到着。

Bゲートから空港バスでAゲートに行く。
バスの中で関西空港行きの時間を見る。
13:15の出発だ。山中さんの時計はもすぐ13時。
やばい乗り遅れる。
おかしいな。乗り継ぎにはかならず2時間は余裕があるはず。
でもあせる。

13:05 Aゲート到着。あせってバスから降りる。
ここでX線。困った。

フィルムで止められる。
航空券を見せるが「大丈夫」と係員は僕たちを待たせる。

飛行機の出発時間が過ぎている。

ようやく検査が終わり登場口A41ゲートに走る。
行って見るとまだ改札が始まっていない。
ほっとする。
でもおかしいな。みんな。焦った様子がない。
山中さんはさっきの検査でバラバラにされたフィルムの整理。

あっ。そうだ時差。テルアビブとパリは1時間の時差が。
パリでは山中さんの時計は1時間進んでいるのだ。
これで納得。

12:40 搭乗開始。
エールフランスの関西空港行きに乗ったのだ。
飛行機さえ落ちなければ日本。

空港が込んでいたので出発がずいぶん遅れた。

14:00 出発。ついに飛行機は飛び出した。

「スタートレック」の新しい映画がやっていたが、寝てしまった。
食事をしてまた寝る。

日本時間ではもう夜中。

明日の朝。日本時間で朝8:45につく予定。
お休みなさい。


パレスチナ訪問日記
1999年4月26日(月)

日本時間の朝5時ごろ山中さんに起こされる。
朝食だ。
もうすぐ日本。
やはり嬉しい。
でも疲れているようで食欲がなかった。

朝食を食べて、うとうとしていると
アナウンスが入り関西空港に無事到着。
感動的だ。

9:00 15分遅れでの到着。

たった一週間だったが、長く旅をしていたような感じ。
充実した一週間でした。

入国検査をして。
両替をして。

外に出ると少し曇ってはいるが気持ちの良い天気。ほっとした。

山中さんはバスで伊丹空港を経由して高知に帰られる。
僕は新大阪へ出て新幹線で広島だ。

5月に山中さんの住んでおられる高知県吾北町でお会いすることを約束して別れる。

山中さんお世話になりました。

 

関西空港から「はるか」に乗り。

新大阪で新幹線に乗り換え。

 

14:10広島到着。

 

兄貴が畝岡さんと車で迎えに来てくれる。

まだ頭はボーっとしている。

 

15:30 3人でFM広島へ行き三次医療センターの人たちと合流。

今度FM広島のアナウンサーの方に三次医療センターに講演に来ていただくので打ち合わせ。

 

16:30 車に乗り「こたん」へ

 

17:30 「こたん」到着。

保江さんが笑顔で迎えてくれる。

無事帰った事を喜んでくださる。

 

兄貴、畝岡さん、保江さんに写真やビデオを見せる。

パレスチナはとても楽しかった事を報告。

 

遅くなって佐々木さんも来て皆で食事。

 

今日は保江さんの友人宅に泊めていただく。

12:30宿泊先に行き、お風呂に入り。

おやすみなさい。

無事の帰国よかった!


人々とともに、平和をつくる~子ども平和図書館@エルサレム~

【パレスチナ事業30周年 ウェブ記事・第六弾】

 JVC会報誌「Trial&Error(通称TE)」で振りかえる「JVCパレスチナ事業の30年」。その第六弾となる今回は、1998年から始まった「エルサレム子ども平和図書館」をはじめとした「平和構築事業」について~ 

JVC日本国際ボランティアセンター